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東京高等裁判所 平成11年(行ケ)128号 判決 2000年7月19日

原告

石塚硝子株式会社

代表者代表取締役

【A】

訴訟代理人弁理士

【B】

被告

特許庁長官【C】

指定代理人

【D】

【E】

【F】

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  原告

特許庁が平成9年審判第20570号事件について平成11年2月26日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨の判決

第2当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、平成2年2月27日、名称を「マスターバッチ」とする発明につき特許出願をし(特願平2-46538号)、平成6年7月27日、出願公告がされたが(特公平6-55836)、特許庁は、平成9年8月22日、拒絶査定をした。原告は、同年12月8日、これに対する審判を請求し、特許庁は、この請求を平成9年審判第20570号事件として審理した結果、平成11年2月26日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年4月6日、原告に送達された。

2  明細書の特許請求の範囲の請求項1に記載された発明(以下「本願発明」という。)の要旨銀、銅、亜鉛の一種以上の金属イオンと、20モル%以上のB2O3成分又はP2O5成分とを含有するように、原料成分を配合してこれを溶解後粉砕することにより得られ、かつその平均粒径が100μ以下(但し0を含まない)とされた非揮発性で非多孔質の無機系抗菌剤である溶解性ガラス粉末と、前記溶解性ガラス粉末が混合される基本樹脂とを含有し、前記溶解性ガラス粉末の含有量が65重量%以下(但し0を含まない)とされ、また、前記溶解性ガラス粉末を、加熱・軟化させられた前記基本樹脂に対し、該溶解性ガラス粉末がほぼ均一に分散するように混合し、かつこの加熱により前記溶解性ガラスが分解することなく基本樹脂中に分散保持し、これを押出し・冷却後切断することによりペレット状に成型され、さらに、前記銀イオンの溶出量が1~10000ng/c㎡/dayとされ、これを直接成形体とすることなくベース樹脂成分と一定の割合で混合・成型することにより、自身よりも溶解性ガラス粉末の含有量が小さい樹脂成型体を製造するために使用されることを特徴とするマスターバッチ。

3  審決の理由の要旨

審決の理由は、別紙審決書写し記載のとおりであり、本願発明が、特開平1-313531号公報(以下「引用例1」という。)、特開昭62-217089号公報(以下「引用例2」という。)及び特開昭63-294859号公報(以下「引用例3」という。)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項により特許を受けることができないとして、原告の請求は成り立たないものとした。

第3審決の取消事由

審決は、本願発明が引用例1、引用例2及び引用例3の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたかどうかの判断を誤ったものであるから、取り消されるべきである。

1  抗菌剤が配合されたマスターバッチの使用について(相違点1)

(1)  マスターバッチに溶解性ガラス粉末を含有させる点について本願発明は、溶解性ガラス粉末に抗菌作用を有する銀イオン等を担持させた新規のマスターバッチであり、マスターバッチに溶解性ガラス粉末を含有させること自体が新規の技術であるから、溶解性ガラスとマスターバッチを組み合わせることが自明の事柄であるということはできない。溶解性ガラス粉末を含有するマスターバッチにおいて、加熱により溶解性ガラスが分解することなく基本樹脂中に分散保持させる点も、新規の技術事項である。

溶解性ガラスを利用して合成樹脂製品に抗菌性を付与することは公知であるが、そのためには、これまで、合成樹脂製品の混練時に溶解性ガラスを練り込むという手法のみが実施されてきたのであり、マスターバッチに溶解性ガラスを混合することは全く実施されなかった。溶解性ガラスをあらかじめ入れ込んだマスターバッチでは、合成樹脂製品の成形に使用されるまでの間のストック期間に溶解性ガラスが溶け出して抗菌イオンが放出されてしまう懸念があることが、その理由の1つと考えられる。

(2)  マスターバッチに配合した抗菌剤のメカニズム、作用効果について引用例2のような有機剤を防カビ剤として含有する合成樹脂容器は、揮発するおそれがあって好ましくなく、引用例3のようなゼオライトに金属イオンを保持させるものでは、吸湿性が激しく、また、長期間抗菌作用を保持することが難しい欠点がある。これに対し、本願発明は、溶解性ガラス中に閉じ込められた金属イオン等が溶解性ガラスの溶解に伴って徐々に放出されていき、長期間にわたり抗菌作用等を発揮できるものであって、引用例2及び引用例3に記載されているものとは、そのメカニズム、作用効果等が根本的に異なるのであるから、引用例2及び引用例3の存在によって、本願発明の進歩性を否定するのは誤りである。

(3)  溶解性ガラス粉末を含有するマスターバッチにおいて、加熱により溶解性ガラスが分解することなく基本樹脂中に分散保持される点について溶解性ガラス粉末を含有するマスターバッチにおいて、加熱により溶解性ガラスが分解することなく基本樹脂中に分散保持される点も、新規の技術事項であって、当業者が容易に想到することはできない。

2  溶解性ガラス粉末の含有量(相違点2)について

溶解性ガラス粉末を含有するマスターバッチについて、基本樹脂組成中の溶解性ガラス粉末の含有量が65重量%を超えると、溶解性ガラスの均一分散が困難となるうえ、樹脂特性が損なわれるおそれがある。これを65重量%以下とすることには、臨界的意義が認められ、当業者が容易に想到することはできない。

抗菌ガラス含有率の65重量%付近を境に銀イオンの溶出量が極端に上がり、分散不良で凝集が起こり、様々な弊害が生じるとともに、銀イオンの溶出が大きくなり、マスターバッチの用をなさなくなるおそれがある。

3  銀イオンの溶出量(相違点3)について

銀イオンの溶出量を「1~10000ng/c㎡/day」としたことについては、溶出量がこの範囲よりも少ないと、製品の抗菌効果が顕著ではなくなり、逆に、溶出量がこの範囲よりも多いと、マスターバッチ中の溶解性ガラスの吸湿性等が増加して取扱いが困難となる。上記の銀イオンの溶出量は、臨界的意義を有するものであり、当業者が容易に想到することはできない。

抗菌ガラス含有率を65重量%以下とし、銀イオンの溶出量を1~10000ng/c㎡/dayとしたことにより、合成樹脂製品の成形までストックされることを前提としてマスターバッチに混合された溶解性ガラスは、そのストック期間に大気等により溶解して抗菌イオンを放出することが抑制され、かつ、マスターバッチとして合成樹脂製品の成形に使用される際は、その抗菌作用が著しく低下してしまっているという不都合が解消される。すなわち、抗菌ガラス含有率及び銀イオンの溶出量を上記範囲の数値に設定することで、ストックされることが前提となるマスターバッチにあっても、合成樹脂製品の成形前に抗菌性が損なわれることがなく、かつ、マスターバッチとして合成樹脂製品の成形に使用され、合成樹脂製品となった以後は、抗菌性の溶解性ガラスが合成樹脂製品に対し適切な抗菌作用を付与することができるという効果を得ることができる。

第4被告の反論

1  抗菌剤が配合されたマスターバッチの使用について

(1)  マスターバッチに溶解性ガラス粉末を含有させる点についてマスターバッチとは、配合の経済性、配合剤の分散、均一性の向上、射出、押し出し成形、計量の容易性等を改善することを目的として考え出された、最終成形材料に対する予備的混合物をいう。そして、通常、マスターバッチに配合する成分は、着色剤から金属酸化物やカーボンブラックに至るまで広範囲に使用されており、有機物であると無機物であるとを問わず、粉状であると粒状であるとを問わず、一定の分散状態が達成できる限り物質の種類や形態を問わないものである。

審決は、このような技術常識を背景に、樹脂中の配合物質として引用例1により公知の「金属イオンを含有する溶解性ガラス粉末」を含有する樹脂の成形を実施する際に当然生じる問題点等を解決する手段として、マスターバッチという既に周知の技術を採用したものであって、このことは、引用例2及び引用例3に記載されたマスターバッチに関する周知の技術手段及びその意義を理解している当業者が必要に応じて適宜なし得ることである。

(2)  マスターバッチに配合した抗菌剤のメカニズム、作用効果について各物質は、その物質に特有の物性や作用メカニズムを有しており、各引用例のマスターバッチに含まれる物質と本願発明のマスターバッチに含まれる溶解性ガラスに、有機と無機の相違、作用メカニズム、物性等の差異があっても、マスターバッチという共通の形態で当該物質を樹脂に配合して用いることの阻害要因にはならない。

(3)  溶解性ガラス粉末を含有するマスターバッチにおいて、加熱により溶解性ガラスが分解することなく基本樹脂中に分散保持される点について引用例1の記載によれば、溶解性ガラスは、1100~1300℃という、極めて高温で融解し、粉砕して初めて製造されるから、最高温度140~220℃のマスターバッチ製造工程において安定であることは容易に考え得ることである。溶解性ガラスを基本樹脂中に配合する際の通常の処理で、これが分解することはなく、「溶解性ガラス粉末を含むマスターバッチにおいて、加熱により溶解性ガラスが分解することなく基本樹脂中に分散保持させる」点も、新規の技術事項ではない。

2  溶解性ガラス粉末の含有量について

樹脂組成物に配合成分を配合するに際して、マスターバッチの形態とすることは、周知の技術手段である。溶解性ガラスが知られていさえすれば、それを含有するマスターバッチを製造することは、当業者が、必要に応じて適宜なし得る事柄である。

マスターバッチにおける配合物質の量を検討しておくことも、マスターバッチを製造する際に当然に行われる事柄であって、マスターバッチに含有されるものが溶解性ガラスであっても、この点に変わりはない。そして、混合物を調製する場合に、分散性等について考慮することも当然の事柄であり、その上限を示した点に格別の臨界的意義は認められない。

3  銀イオンの溶出量について

銀イオンの溶出量についての数値範囲は、当然に予測し得るものであり、本願発明は、この範囲を数値として示したにすぎないものであって、この範囲に格別の臨界的意義を認めるべき根拠はない。

第5当裁判所の判断

1  抗菌剤が配合されたマスターバッチの使用について

(1) マスターバッチに溶解性ガラス粉末を含有させる点についてマスターバッチとは、乙第1号証(「プラスチック加工技術便覧」日刊工業新聞社発行)及び乙第2号証(「プラスチック成形加工用語辞典」工業調査会発行)に記載されているとおり、配合の経済性、配合剤の分散、均一性の向上、射出、押し出し成形のフィード、計量の容易性等を改善することを目的として考え出された、最終成形材料に対する予備的混合物をいうものである。すなわち、乙第1号証には、「その他の配合剤の配合を要望される場合にその需要単位がある程度の大きさにまとまらないと経済的に配合困難となる. とくに多彩な着色成形材料の要請の場合は塩化ビニル樹脂や耐衝撃性ポリスチレンの成形材料においても同様である. この問題を解決する一つの方法としてマスターバッチ(master batch)の応用方式がある. すなわち, 最終成形材料における配合剤所要濃度の数十倍の濃厚配合ペレットを別途に調製しておき, 最終成形加工のさいにその配合剤を含まない標準グレードの成形材料ペレットと所定比率に混合して, 成形加工時に溶融混練したのち成形して, 所要を満足することがしばしば行なわれている. 」(69頁本文下から3行目ないし70頁5行)と記載されており、乙第2号証には、「[用語]マスターバッチ[意味]製品の最終配合の中の一部の配合剤をあらかじめ混練したバッチを作っておいて, 配合剤の分散, 均一性を高めたり, 射出, 押出成形のフィードをしやすいようにしたり, 計量しやすいようにすることを目的とした予備混合バッチのことをいう。着色剤, 加硫, 架橋剤, 分散しにくい金属酸化物, 環境汚染に問題のあるカーボンブラックなどは, あらかじめポリマーや粉末, ペースト状物質とマスターバッチにすることが多い。」と記載されている(448頁ないし449頁)。

また、甲第6号証(引用例2)には、「マスターバッチ方式によるため、・・・均一に分散するという特長を有する。」と記載され(2頁右下欄2ないし5行)、甲第7号証(引用例3)には、「高濃度マスターバッチを使用すると、ゼオライト粒子が均一に分散された焼結体を得ることができる」と記載されている(3頁左上欄10ないし12行)。

そうすると、通常、マスターバッチに配合する成分は、上記のとおり、着色剤から金属酸化物やカーボンブラックに至るまで広範囲に使用されており、有機物であると無機物であるとを問わず、粉状であると粒状であるとを問わず、一定の分散状態が達成できる限り物質の種類や形態を問わないものであることが認められ、樹脂中の配合物質として公知の「金属イオンを含有する溶解性ガラス粉末」につき、これを含有する樹脂を成形する際に当然生じる問題点等を解決する手段として、マスターバッチの利用という既に周知の技術を採用することは、当業者が必要に応じて適宜なし得ることであるということができる。この旨をいう審決の判断に誤りはない。

また、原告は、この点に関して、本願発明の出願前に溶解性ガラスをマスターバッチに適用した発明が実施されていなかったことを主張するが、発明が実施されるかどうかは、種々の要因によって決まることであるから、上記発明が実施されていなかったことから直ちに、本願発明のマスターバッチが当業者にとって推考困難なものということはできない。

さらに、原告は、溶解性ガラスをあらかじめ混入したマスターバッチでは、合成樹脂製品の成形に使用されるまでのストック期間に、溶解性ガラスが溶け出して抗菌イオンが放出されてしまう懸念があることを主張するが、本願発明が各引用例記載の発明の構成要件を組み合わせることにより容易に想到し得ることは前示のとおりであり、原告の指摘する点により、当業者が上記組合せの試みを断念するほどの事情であると認めることはできない。

(2)  マスターバッチに配合した抗菌剤のメカニズム、作用効果について各物質は、その物質に特有の物性や作用メカニズムを有しており、マスターバッチとして使用される状態において、各物質のそのような属性が現れることも、マスターバッチとして当然の事柄である。したがって、引用例に記載されたマスターバッチに含まれる物質と本願発明のマスターバッチに含まれる溶解性ガラスに物性等の差異が存することをもって、本願発明のマスターバッチを採用することが困難であるということはできない。

むしろ、引用例2及び引用例3の配合物質には、有機か無機かの相違や作用メカニズムの相違があるとはいえ、これらがいずれもマスターバッチという共通の形態で樹脂に配合されているという事実に鑑みるならば、たとえ本願発明の配合物質である溶解性ガラスの物性や作用メカニズムが引用例2及び引用例3の配合物質のものと異なる点があるとしても、これら相違点により、当業者が本願発明のマスターバッチを使用することが妨げられるものではないということができる。

(3)  溶解性ガラス粉末を含有するマスターバッチにおいては、加熱により溶解性ガラスが分解することなく基本樹脂中に分散保持させる点について甲第5号証(引用例1)には、「まず、この実施例に使用する一価のAgを含む水溶解性ガラス(銀ガラス)は、SiO240.0モル%, B2O350.0モル%, Na2O, 10.0モル%の混合物100重量部に対して、一価のAgをAg2O換算にて2.0重量部添加し、これを均一に混合し、ガラス融解炉にて1100~1300℃の範囲の温度で60分間融解した後、急冷して作成したものを粉砕した200メッシュ通過の粉体である。」と記載され(2頁右上欄5ないし13行)、溶解性ガラスは、1100~1300℃という、極めて高温で融解し、粉砕して初めて製造されるのであるから、最高温度140~220℃のマスターバッチ製造工程においては安定であると認められる。そして、このことは、甲第5号証において、溶解性ガラスを樹脂に配合してカーテン状にシート化する際に、200℃の混練温度を使用していること(2頁左下欄15行)にも示されている。

上記の点も当業者に周知の技術事項であり、当業者が容易に想到することができる。

2  溶解性ガラス粉末の含有量について

前記のとおり、樹脂組成物に配合成分を配合するに際して、マスターバッチの形態とすることは、周知の技術手段にすぎず、溶解性ガラスが知られている以上、それを含有するマスターバッチを製造することは、当業者が必要に応じて適宜なし得る事柄である。

そして、乙第1号証に「最終成形材料における配合剤所要濃度の数十倍の濃厚配合ペレットを別途に調製しておき、」と記載されているように(70頁2行)、マスターバッチにおける配合物質の量を検討しておくことも、マスターバッチを製造する際に当然に行われることであって、マスターバッチに含有されるものが溶解性ガラスであっても、この点に変わりはないものである。

そして、混合物を調製する場合に、分散性等について考慮することも当然の事柄であるから、本願発明における溶解性ガラス粉末の含有量は、単にその分散性等に影響する濃度の上限を確認したにすぎず、その上限を示した点に格別の臨界的意義があるとは認められない。

3  銀イオンの溶出量について

銀イオンの溶出量が極めて少ないと抗菌活性が弱まることは自明であり、また、溶解性ガラスからの銀イオンの溶出量が多くなると溶解性ガラスの吸湿性が増加するなどにより、その取扱いが困難となることも、当業者が当然に予測し得ることである。本願発明における銀イオンの溶出量の限定は、このように当然予測される範囲の数値を採用したものにすぎず、この数値範囲の限定には、何ら格別の臨界的意義を認めることはできない。

原告は、抗菌ガラス含有率を65重量%以下とし、かつ、銀イオンの溶出量を1~10000ng/c㎡/dayと限定したことにより、マスターバッチに混合された溶解性ガラスがストック期間に大気等により溶解して抗菌イオンを放出することが抑制されるなどの効果を主張するが、上記抗菌ガラス含有率に特段の臨界的意義を認めることができず、また、銀イオンの溶出量についても同様であるから、これらの限定を組み合せることも、やはり当業者が適宜選択することのできる事項であるといわざるを得ない。

4  以上のとおり、審決の取消事由についての原告の主張は理由がなく、他に審決を取り消すべき事由は認められない。

よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 長沢幸男)

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